八木和彦 Gallery

作品集「郷愁 ―こころのふるさとを求めて―」

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身近な人・物・風景 ―日常に潜む郷愁―

  • 祖母
  • 父
  • 夕暮れの川辺
  • ひまわり
  • 屑を拾う人
  • 夏が来る
  • 真昼の園庭
  • 駅裏の路地
  • 蔵本駅東踏切付近
  • 晩夏
  • 五月
  • 秋の野
  • 便所の花
  • スチュワートスプリングス 菜食レストラン
  • サーカス
  • 夕方の動物園Ⅰ
  • 夕方の動物園Ⅱ
  • 乳母車

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祖母

23才の時に描いたものです。
時代の流れから取り残されたような古い家で、
テレビを見る家族の後ろにいて、
家事で荒れた手をさすっている祖母の姿です。
取り残されたというよりは、
時を超えてあるものの姿、
その、あかぬけないけれどなつかしい姿を描きたいと思って、
本人の気付かないうちに30分ほどで描き上げました。

  • 1982
  • ボールペン,水彩・紙
  • 16.2×14.0 cm

祖母

父

夏の頃、
夕食後に居間でテレビを見ている父の姿です。
これも本人が気付かないうちに描きました。

  • 1987
  • 水彩,色鉛筆・紙
  • 22.0×17.0 cm

父

夕暮れの川辺

昔、家族で釣りに行った思い出の場所…。
第一子誕生直前に、
妻と訪れたときの風景です。

  • 1993
  • クレヨン,水彩・紙
  • 10.7×14.1 cm

夕暮れの川辺

ひまわり

かつて高校で勤めていたとき、
演劇部の依頼で、
劇中の小道具として描いたものです。
当時小学3年生だった私の娘が
モデルになっています。

  • 2002
  • 油彩・キャンバス
  • 72.7×60.6 cm

ひまわり

屑を拾う人

もう何十年も前、
街角で出会った人の姿です。
「神」というものを擬人化するならば
こんな姿になるのではないかと、そのとき思いました。
この絵を見てくれた人のうち、何人かの人が、
これまでの人生で出会ったとても大切な人に似ている、
と言ってくれました。
いずれも、本当に大切なことを、言葉ではなく、
その姿によって教えてくれた人物であったということです。

  • 2003
  • 墨,水彩,油彩,オイルパステル・紙
  • 65.2×49.9 cm

屑を拾う人

夏が来る

26年間勤めた公立学校の教員を辞めて一番よかったことは、
家族と一緒に過ごす時間が増えたことです。
私には3人の子どもがいますが、
時々、一番下の子どもを迎えに、
幼稚園に行くようにもなりました。
これは6月頃です。
先生にさよならを言って帰るとき、
何を思ったのか、
園庭の外階段を少し上り、
空を見ていた子どもの様子を、
ふと描きたくなりました。

  • 2007~2009
  • 水彩,パステル・紙
  • 51.5×36.4 cm

夏が来る

真昼の園庭

私の子どもたちが通った幼稚園には、
こんな素敵な一画があります。
4月の真昼。
若くてかわいらしい
命の力あふれる空間です。

  • 2008
  • 油彩・板
  • 30.0×73.1 cm

真昼の園庭

駅裏の路地

太陽が照りつける真夏の午後です。
スケッチをしていた時、
麦わら帽子の人が通り過ぎていきました。
白いシャツに陽の光が透けて美しく、
残像のように心に残る、
真夏の白昼夢のような光景でした。

  • 1993~1994
  • 水彩,クレヨン,色鉛筆・紙
  • 24.8×17.2 cm

駅裏の路地

蔵本駅東踏切付近

1997年8月の夕方、
近所を散歩してスケッチをしました。
そのままスケッチブックの中にしばらく眠っていたものを、
たまに取り出しては色をつけていき、
2003年の個展にはひとつの作品として出品しました。
絵というものは、命と同じように、
生まれ、育つもののように思います。
それは作者の力によるものではありません。
だから自分の都合でこの日までに仕上げようなどと思っても、
そううまくいくものではありません。

  • 1997~2003
  • 水彩,クレヨン,色鉛筆・紙
  • 24.8×17.2 cm

蔵本駅東踏切付近

晩夏

近所の景色です。
自転車で踏切を渡ろうとしたときにふと右を見ると、
西の空の入道雲が青く美しかったので、
いつも持ち歩いているB5のクロッキー帳に
水彩色鉛筆で描き始めました。
他に水彩やクレヨンも併用していますが、
色々な特性を持つ材料を
その時その時の気持ちで、
最も使いやすいと思われるものを選んで
描くのは楽しいものです。

  • 1990~1993
  • 色鉛筆,クレヨン,水彩・紙
  • 16.0×22.0 cm

晩夏

五月

これも、それほど昔の風景ではありません。
高等学校に赴任した1995年、
美術室南側の風景です。
明るい五月。
ここには昔ながらの
なつかしい何かがある、
と思いました。

  • 1995~2003
  • クレヨン,水彩・紙
  • 24.0×15.3 cm

五月

秋の野

10月頃、
すがすがしい秋の空気に誘われて、
描かずにはいられない気持ちになりました。
野の草花の中には、妖精たちがたくさん住んでいそうです。
身近なところに、天国のような世界があります。

  • 2002~2003
  • 水彩,クレヨン・紙
  • 53.7×37.9 cm

秋の野

便所の花

妻の実家のトイレです。
もちろん生けられた花は美しいと思ったのですが、
白熱電球の光に照らされた窓枠の木や、
古いガラスのくすんだ色、壁の色など、
この場の醸し出す温かくてなつかしい雰囲気に惹かれました。

  • 1998~2003
  • 水彩,オイルパステル・紙
  • 24.7×18.1 cm

便所の花

スチュワートスプリングス 菜食レストラン

1993年に、縁あって、
米国カリフォルニア州にある
シャスタ山を訪れる機会に恵まれました。
そのときに泊まった
温泉宿のレストランです。

  • 1993
  • 水彩,色鉛筆,クレヨン・紙
  • 25.7×36.1 cm

スチュワートスプリングス 菜食レストラン

サーカス

1998年に行ったサーカスの思い出です。
サーカスというのは、
テントによって日常とは区切られた夢の空間ですが、
このときおもしろかったのは、
ベンチの下に、地面に生えた草と、
そこに太陽の青白い光が当たっているのが見えたことです。
明るい外の世界と、暗くて少し妖しい内なる世界
…2つの世界のはざまにいるようで、
とても不思議な感じでした。

  • 1998~2003
  • アクリル,クレヨン,色鉛筆,水彩・紙
  • 36.2×61.4 cm

サーカス

夕方の動物園Ⅰ

幼い頃、
日曜毎に両親に連れていってもらった動物園です。
雪の日にも行ったといいます。
今は郊外に移転していますが、
かつて徳島市立動物園は市街地の中にあって、
身近な異空間でした。
右端、キリンの太郎と
インドゾウの花子はとても仲がよく、
昔何かのテレビコマーシャルにも
登場したことがあるようです。

  • 1988~1991
  • 水彩,クレヨン,色鉛筆・紙
  • 17.2×24.9 cm

夕方の動物園Ⅰ

夕方の動物園Ⅱ

動物園の隣は、
小さな遊園地「児童公園」でした。
この絵を描いた頃、
児童公園の側からも、フェンスを通して
こんな風景を見ることができました。
「かごめ」の歌の「かごのなかのとり」という言葉は、
この世の空間というものに秘められた神秘を
表現しているように思えてなりませんが、
ケイジというもので仕切ることによって、
よりその意味を際立たせている動物園の空間は、
私に多くの夢を与えてくれました。

  • 1988~1993
  • 水彩,クレヨン,色鉛筆・紙
  • 24.9×17.3 cm

夕方の動物園Ⅱ

乳母車

今はその仕事を終えて、納屋の中に休む乳母車です。

動物園の檻、乳母車がある納屋の隠れた小さな空間…
それら何かによって仕切られ、限定された空間には、
何か不思議なものが宿っているような感じがすることがあります。
この世ならぬ何か不思議なもの…
私が好きな「汚れなき悪戯」という映画の中で、幼児マルセリーノは、
入ることが禁じられた納屋の中で神に出会います。
またC.S.ルイス「ナルニア国物語」で、
別世界ナルニアへの通路は、古い衣装だんすの中にありました。
そのようにこの世の空間というものは、
実は大きな可能性―不思議が実現する世界とつながる可能性を
秘めているのかもしれません。

  • 1996~2009
  • 油彩,オイルパステル・紙
  • 40.8×33.0 cm

乳母車

作品集「郷愁 ―こころのふるさとを求めて―」

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